脚本家大石静さんのパリの旅を観て、フランスのエレガンスの意味に大いに共感を覚えた。大石さんは、パリを旅する中で、エレガンスの真の意味は、自己と他人の双方に対するリスペクトであるということを見出していた。また、島田順子さんのことばを借りれば、人は皆完璧ではないからこそ、お互いに相手を認め合い、尊敬しあって生きている、そんな中にエレガンスがあるということのようである。フランスやイタリアを旅していると、それなりに人生を生きてきた人々の瞳や言葉、たたずまいや行動に尊厳を感じることがよくある。職業を問わず、そんな人々は堂々としているし、自分の哲学を持ち、自身の生き方に自負や誇りをもって生きているように感じる。見事なティアラにしても、それを身に着ける人にセルフリスペクトの人生観とそれに基いた人生の積み重ねができていない人間には、ティアラは似合わない。お互いにリスペクトし合えるように、まずは自分磨きをしなければと、この年になっても感じてしまう。また、自身の尊厳の確立は死ぬまで辿り着けない永遠の課題にように感じてしまう。しかしながら、一方で、そんな不完全な自分ながら、どこかに良さを認めてやりながら、わずかながらもセルフリスペクトを感じることこそが大切なのかもしれない。