essay · 2018/09/30
脚本家大石静さんのパリの旅を観て、フランスのエレガンスの意味に大いに共感を覚えた。大石さんは、パリを旅する中で、エレガンスの真の意味は、自己と他人の双方に対するリスペクトであるということを見出していた。また、島田順子さんのことばを借りれば、人は皆完璧ではないからこそ、お互いに相手を認め合い、尊敬しあって生きている、そんな中にエレガンスがあるということのようである。フランスやイタリアを旅していると、それなりに人生を生きてきた人々の瞳や言葉、たたずまいや行動に尊厳を感じることがよくある。職業を問わず、そんな人々は堂々としているし、自分の哲学を持ち、自身の生き方に自負や誇りをもって生きているように感じる。見事なティアラにしても、それを身に着ける人にセルフリスペクトの人生観とそれに基いた人生の積み重ねができていない人間には、ティアラは似合わない。お互いにリスペクトし合えるように、まずは自分磨きをしなければと、この年になっても感じてしまう。また、自身の尊厳の確立は死ぬまで辿り着けない永遠の課題にように感じてしまう。しかしながら、一方で、そんな不完全な自分ながら、どこかに良さを認めてやりながら、わずかながらもセルフリスペクトを感じることこそが大切なのかもしれない。

art & culture · 2018/09/09
フランスの骨董を訪ねるTV番組を観て大変興味を持った。蚤の市には貴重な骨董がたくさん眠っているようだ。とは言っても骨董探しには、それを見出す眼力と見識が必要である。リヨンの絹織物は18世紀中頃、フランス革命前の王室によって支えられ発展し、特に王室画家フランソワ・ブシェ等の素描をモチーフにして金糸、銀糸で織られたタピストリーなどは極めて貴重なものであることを知る。また、ガラス工芸品も、エミールガレ、ドーム兄弟などのアールヌボー時代の作品、ルネ・ラリック等のアールデコ時代のオパールセントと呼ばれる技法の作品など、各時代の特徴、作風や技術の変化などを理解した上で探してみると大変面白そうである。陶器も、一概にリモージュと言っても、リモージュのカオリンは20世紀中頃には掘り尽くされてしまったため、それ以降は他の産地のカオリンが使用されているとのことであり、それ以前のリモージュに価値ありとされるようだ。また、それ以降でもル・タレックによる絵柄のパリ製のリモージュはまたそれで価値があるようである。他に、ベルナール・ヴィルモのポスターなど、骨董にも様々なジャンルがあり、それぞれに奥が深そうである。まだまだ知らないことばかりだが、ナンシーでガレやドームの作品を見てきたばかりということもあり、骨董への興味が一段と高まった。 (参照:Ballyホームページ、ベルナール・ヴィルモの作品)

art & culture · 2018/09/05
何故今までこの金継ぎという文化に触れることがなかったのだろう。衝撃的である。TVを見ていたら、あるポーランド人がわざわざ日本へ金継ぎを習いに来ているのが報道されていた。割れたり、欠けたりした器を漆で修復し、仕上げを金や銀で装飾する技術であるが、単に修復技術にとどまるのではなく、そこに新たな芸術を生み出している。ものを大切にすると同時に修復する中にまた新たな美を生み出すこの芸術の奥深さと背景にある哲学に感銘を覚えた。 (参照フォト:wikipedia掲載)

art & culture · 2018/09/03
1808年5月2日、ヨーロッパ征服の野望を抱くフランス皇帝ナポレオンによって派遣された軍隊に対してスペイン民衆は蜂起して戦ったが、翌5月3日フランス軍によって鎮圧され人々は処刑された。この事件を契機にスペイン全土でフランス軍とゲリラ戦が続いたが、フランス軍はゲリラとの戦闘に疲弊し、1814年にスペイン支配を断念した。しかし、王位に復位したフェルデナンド7世は、民衆の期待を裏切って自由主義を弾圧する圧政を始めた。ゴヤは、「5月3日マドリッドの銃殺刑」により、戦争がもたらす現実を冷徹な目で描いた。そして、1824年には自由を抑圧されたスペインを離れ、ボルドーに移り住み、死ぬまで絵筆を握り続けたとのことである。プラド美術館には、Aun Aprendo(それでもわしは学ぶぞ)と記された素描が残されているとのことである。 宮廷画家としてのゴヤ、「マハ」で有名なゴヤであるが、あらためてゴヤの真の内面を理解することができたように感じた。 いつの世になっても、人と人との争いは絶えることがないのだろうか。悲しい現実である。 (参照:日経新聞2018.8.19)

art & culture · 2018/09/03
もう30年も前に仕事でフィリピンに住む機会があり、その頃インドネシアのバティックに触れた。女性のドレスやテーブルクロスなど、バティックの藍色の紋様を粋に感じたものである。インドネシアのバティックは、しばらく衰退していたものの、2009年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されたこともあり、2010年代に復興したとのこと。2013年に亡くなった故ネルソンマンデラも愛好していたため、世界的にも広まったとのことである。 バティックはろうけつ染めで染められた布で、布地に蝋で模様を描き、染料や絵筆で着色する伝統的な技法で、1000年以上の歴史があるとされる。最近のバティックは自分が初めて見て感動したころの風合いとは異なるデザインのものが多いように見受けられるが、それも時代の変化を映しているのかも知れない。写真で引用した図柄は当時自分が愛好していた図柄に近い風合いである。 (参照:日経新聞2018.8.19)

art & culture · 2018/09/03
琉球王国を象徴する琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)のことを知ったのはつい最近のことである。...

essay · 2018/09/02
風にそよぐカーテンの向こうには緑の庭が広がっている。その時が止まったかのような静寂はまるでそのまま永遠に続くように感じられる。しかし、時の刻みは、自分とは無関係に、決められた規則どおりに進んでいる。そう思うと、時間に置いてけぼりになったような気もする。時にはそんな風に時間の流れるままに流されていくのも大事かもしれない。けれど、自ら積極的に時を刻むのも大事。何かに没頭する自分に逆に時が追いかけてくるぐらいの生き方も大切かと。何十年かの人生の間に、自らの時の刻み方ひとつでその人の人生は大きく変わってくる。年を重ねた今、自然にそんなことを感じるようになった。まだ、何年かは生き続けられるであろうことを思うと、今まで以上に自ら時の刻みを意識しながら、一日一日を大切に生きていきたいと思う。

travel journal · 2018/07/27
アヌシー湖を船で遊覧。背景の山や波止場の花が美しいタロワールでゆっくりと昼食をとる。アベイ・タロワールはセザンヌが宿泊したホテルで、セザンヌが当時ここで描いたデッサン(コピー)などが飾られている。

travel journal · 2018/07/26
ノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂は、ソーヌ川で囲まれたフルヴィエールの丘に聳える。聖堂内の大きな壁画や中央祭壇の天井などに金色を多く配していて、荘重な印象を与える。聖堂を少し下ると石造りの壮大なガロ・ロマン劇場がある。紀元前43年の建造で、古代ローマの勢力拡大の跡がうかがえる。丘を降りて行くと、たくさんのレストランなどが密集した旧市街に出る。ムール貝がまた食べたくなり昼食をとる。 リヨンを出発して、列車で2時間ほどでアヌシーに到着。ティウ運河沿いに旧市街の美しい街並みが続く。一つ通りを入ったセント・クレール通りは、多くの旅人達で賑わい、たくさんのレストランが連なる。ル・フレティでチーズフォンデュとタルティフレットを注文。アルプスの料理に堪能。今夜はゆったりと湖畔のインペリアルパレスに宿泊。

travel journal · 2018/07/25
ボーヌから車で2時間ほどかけてヴェズレーを訪れる。12世紀頃の創建になる聖マドレーヌバジリカ聖堂があり、サンティゴコンポステーラへの巡礼の道の起点の一つとされる。身廊手前入口のタンパンには聖霊降臨の図。教会天井のアーチはアラビック風。柱頭には聖書の寓意を表した彫刻。奥には、マグダラのマリアの聖遺物が祀られている。丘の上に建つ教会の背後には、ヴェズレーの小さな街を囲むように豊かな丘陵が広がっている。 ヴェズレ-からボーヌに戻り、リヨンへ。 リヨン到着後、念願のポールボキューズへ。

さらに表示する