essay

essay · 2018/09/30
脚本家大石静さんのパリの旅を観て、フランスのエレガンスの意味に大いに共感を覚えた。大石さんは、パリを旅する中で、エレガンスの真の意味は、自己と他人の双方に対するリスペクトであるということを見出していた。また、島田順子さんのことばを借りれば、人は皆完璧ではないからこそ、お互いに相手を認め合い、尊敬しあって生きている、そんな中にエレガンスがあるということのようである。フランスやイタリアを旅していると、それなりに人生を生きてきた人々の瞳や言葉、たたずまいや行動に尊厳を感じることがよくある。職業を問わず、そんな人々は堂々としているし、自分の哲学を持ち、自身の生き方に自負や誇りをもって生きているように感じる。見事なティアラにしても、それを身に着ける人にセルフリスペクトの人生観とそれに基いた人生の積み重ねができていない人間には、ティアラは似合わない。お互いにリスペクトし合えるように、まずは自分磨きをしなければと、この年になっても感じてしまう。また、自身の尊厳の確立は死ぬまで辿り着けない永遠の課題にように感じてしまう。しかしながら、一方で、そんな不完全な自分ながら、どこかに良さを認めてやりながら、わずかながらもセルフリスペクトを感じることこそが大切なのかもしれない。

essay · 2018/09/02
風にそよぐカーテンの向こうには緑の庭が広がっている。その時が止まったかのような静寂はまるでそのまま永遠に続くように感じられる。しかし、時の刻みは、自分とは無関係に、決められた規則どおりに進んでいる。そう思うと、時間に置いてけぼりになったような気もする。時にはそんな風に時間の流れるままに流されていくのも大事かもしれない。けれど、自ら積極的に時を刻むのも大事。何かに没頭する自分に逆に時が追いかけてくるぐらいの生き方も大切かと。何十年かの人生の間に、自らの時の刻み方ひとつでその人の人生は大きく変わってくる。年を重ねた今、自然にそんなことを感じるようになった。まだ、何年かは生き続けられるであろうことを思うと、今まで以上に自ら時の刻みを意識しながら、一日一日を大切に生きていきたいと思う。